ダイキサウンド株式会社 代表取締役社長 清川達也氏 第2回「社長就任を決意させた従業員の『目』」(全4回)
ネットによるビジネスモデルの変革は語るまでもなく、かつ市場としてその存在をどの業界も無視できないが、中でも音楽業界は最もその影響を受けた業界の1つであるといえるだろう。
今回の「次代の会講演ブログ」は、大きく変革した音楽業界の中で1999年に創立され、2004年にはジャスダックへ上場したダイキサウンド株式会社 代表の清川 達也氏に語ってもらった。清川氏は今年2009年5月に同社の代表取締役に就任したばかり。業界全体の変革期のなかでインディーズ(独立系の)レーベルと連携した流通システム事業の他、音楽配信などを展開している同社の舵をどう切っていくのか。清川氏の半生と併せて追ってみたいと思う。
第2回「社長就任を決意させた従業員の『目』」
「音楽とインターネット」を実現するためにVIBEという会社を設立、代表としてi-modeなど携帯公式サイトでの配信事業で輝かしい実績を作った清川は、子供が生まれることをきっかけに社長を辞め、育児を中心とした生活を2年以上送ったという。その後、運命のめぐり合わせで出会ったダイキサウンドはその企業業績が低迷していたにも関わらず、清川は代表の座を引き受けることとなる。何が彼にそのような決意をさせたのだろうか。
「なぜ引き受けたのか、その理由は3つほどあります。
まずはやはり音楽に携わって生きていきたかったということですね。大学時代は勉強もせずにギターばかり弾いていましたし、社会人になって営業部の朝礼で毎回CDを紹介したり、オヤジバンドをやっていたり、自他ともに認める音楽ファンですので。
2つ目は、私の父が御徒町で眼鏡卸を営んでいたこともあり、父を通じて卸という仕事の雰囲気は幼い頃から感じて育ってきました。今回のことを父に話したら「卸のことはなんでも聞け」と喜んでいたこともきっかけになりました。
さらに決め手になった大きな理由があります。それは従業員の『目』でした。
当初何人かの若いスタッフにインタビューをしたのですが、そのメンバーがとてもいい目をしているんですね。その『目』にやられてしまったわけです。『これは何とかしなければ』と。そのときには『こうやったら必ずうまくいく』というような策があったわけではなく、『これは俺しかやる人間はいないな』と思ってしまったのです。
これが今年のゴールデンウィークで、その後臨時株主総会、取締役会を経て代表に任命して頂いたというわけです。」
同社は2004年をピークに業績が悪化していたが、そこで働く従業員の情熱ある「目」を見て清川は「やるしかない」と決意したという。本人は飄々と語るが、同社は株式公開している上場企業。相応の覚悟が必要である決断であったことは間違いない。彼自身の熱い人間性を垣間見るエピソードである。
とはいえ気持ちだけでは会社の建て直しができるものでもない。そこで彼は就任後3ヶ月の間に会社の業績を回復すべく着手したことについて語ってくれた。
「まず着手したのが『経営のバトンタッチ』です。新旧経営陣の方々と密にコミュニケーションを取りながら、業務のバトンタッチをしてもらいました。
2つ目に『マネジャーの選抜』を行いました。限られたメンバーを抜擢し、これから執り行う様々な課題にチームで取り組んでいく体制をつくりました。現場を取り仕切る人選ですね。同時に希望退職を募集し、人件費を削減することを判断しました。9月を迎えてみると人員は約半数になっていました。
並行して、業績修正の発表や次期の事業計画、予算策定など、この時期に手を打てることはなんでもやるくらいのつもりで3ヶ月を過ごしました。
こうして私は主に『経営リニューアル』のために時間を使っているわけですが、同時に現場もまわしていかなければならない。まわすだけでなく、さらなるコスト削減と効率改善を全員の習慣にしなければいけない。待ったなしの現場で具体的にどう行動したかについて次回は触れたいと思います。」
彼の言葉からすれば経営リニューアルという大きな流れの中でくぐるべき試練はこの3ヶ月間で山ほどあったはずだが、彼は経営の刷新を行う為に最も重視しているのが「現場」なのだ、という想いが読み取れた。では何をどう心がけ、かつ具体的なタスクとして導入して現場を変えていこうとしているのだろうか。次回はそのあたりに触れて語ってもらおうと思う。
次代の会 柳澤 史樹
(第3回へつづく)
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