日本ヒューレット・パッカード株式会社 取締役執行役員 井上修氏 第2回「数年後のWishをプロジェクトする」(全4回)

By fumiki.yanagisawa@jidainokai.jp • 2月 5th, 2010

現代社会において、全ての企業活動は、法律や司法に伴う、法務的な側面を無視して存続することは現実的に不可能であろう。2006年ライブドアショックからはじまり、昨年の金融危機に至るまで、経済構造の激変により発生した事件やニュースは、法務の重要性を一般市民の間にも浸透させるに至っている。
今回次代の会では、その法務業務のスペシャリストである日本ヒューレット・パッカード株式会社 取締役であり、知財・法務統括本部長である井上 修氏をお招きした。法務という仕事について語って頂きながら、氏自身の人生観などを併せて追ってみたいと思う。

第2回 「数年先のWishをプロジェクトする」

政治家になるという夢の近道として、弁護士になるべく司法試験を勉強したものの失敗、その後大学院ではドイツ語の難しさに挫折、最終的に商社へ入社し、ビジネスマンとして企業法務の道を歩き始めることになる。本人としては「挫折の連続」と自らを評しながらも、その意識が全くなかったというが、どのようなキャリアを積んでいったのか。

「当初いろいろと内定をもらいましたが、法務としての約束がはっきりしなかったので、お断りしたところもありました。
最終的に商社に入ったのですが、最も忙しい営業部隊の一つに配属されました。トレーニングだったんでしょうね。それが結果としてよかったと思います。

その後法務に移ってからも現場との信頼関係ができていたので、法務としての仕事を理解してくれたところがありました。そのときの成功体験をもって前回お話した『法務はビジネスセンスが必要』という思いを強くしたのです。私の法務はビジネスに立脚していなければならないという持論の礎ということですね。だからこそ私はビジネスサイドに対して口も出しますし、厳しいこともいうわけです。

その後富士ゼロックスに移りましたが、そこではビジネスセンスのある法務スタッフが多い会社で、違和感なく溶け込めたので非常にラッキーだったと思います。法務というバックヤード的な仕事でありながらも、現場から表彰されたりした経験もあり、さらにビジネスに立脚した法務という仕事のスタンスに自信を深めることができました。
上司の方も非常に理解があり、人のネットワークをどんどんと紹介して仕事を繋いでくれた。そのようなスタンスをあの会社の方は理解してくれていたのだと思いますね。」

井上が企業法務の仕事のキャリアを数多く積んだ富士ゼロックス時代には、企業派遣留学生として選抜され、シンガポールやアメリカへの海外駐在も経験する。この経験も彼の仕事に対する価値観を大きく変える転機となった。彼が常々語る「多様性」「多変性」を実体験として感じる貴重な経験だったという。

「まさに『視点の違い』を痛感しましたね。日本の文化的特徴として語られる『察しの文化』が全く通用しないのです。今でも覚えていますが、NYに行きたてのころ、たまたまZIPPOのオイルがなく、探して入ったら確か日本円にして1000円近い値段で売りつけられたことがあります。そのときはそんなものか、と思っていたのですが調べてみるとやはり『やられた』と(笑)。

でもその値段の値札を出して売る人がいて、私のようにその値札の値段で買う人間がいるわけで、店頭商品の市場価値が交渉で決まることがあるということが日本と違いを感じたところですね。(関西方面は違うかもしれませんが。)
麻薬に溺れてしまっている人や、そのような人に追いかけられたことがあるのも彼の地です。日本の常識が全く通用しないということを強く感じましたね。」

そんなカルチャーショックを経ながらも、井上は研修生としての時間を過ごしながら、NY州の弁護士資格にトライし、見事に資格を取得することになる。挫折を繰り返したといいながらも、このように大きな目的は確実に達成してきているのが興味深い。

「私はおそらく今から数年先の希望、Wishをプロジェクトしているところがあるようです。大学院時代に見せてもらったコロンビア大学のロースクールの模擬裁判のビデオが非常に興味深かったことと、就職した商社においては海外との法律的なやりとりの拠り所がなかったので、その不安を解消したいという思いから、ロースクールで勉強してみたいという想いが希望 Wish へなっていったのです。本来が怠け者なのでやる以上は資格としてとってしまったほうがベターであろうと思ったのですね。もっとも、ここでも2回試験に落ちていますが(笑)。」

その後氏は、当時.com (ドットコム)バブルと称され、幾多の伝説を生んだシリコンバレーで駐在時代の最後期間を過ごし、帰国後ベンチャー企業へと転身することになる。自ら数年先の“Wish”を漠然とはいえプロジェクトとして定めながら、企業法務として自らのキャリアのあくなき追求を求めた氏の人生絵巻は、まだまだ留まるところを知らないようだ。次回もさらに彼の怒涛のようなキャリアパスを振り返りながら、その中で蓄積されたナレッジについて探ってみたいと思う。

(第3回に続く)
敬称略 取材・執筆 次代の会 柳澤 史樹

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