特別講座 弁護士 田門 浩氏 第1回 「炎の意志」(全4回)
法曹界に身をおくものとしてクリアしなくてはならない資格として存在する司法試験は、現在国内の試験としては公認会計士と並び国内最難関といわれている。そんな司法試験に「先天的難聴」という障がいを克服し合格、弁護士となった男がいる。東京四谷の都民法律事務所に勤務する田門 浩氏がその人である。
弁護士法1条1項の定義によると、弁護士は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」。とある。障がいを克服し、市民の社会生活を守る法の番人へと挑戦したその思い、情熱はどこから生まれてきたのだろうか。その軌跡を追うとともに、障がい者を取り巻くいろいろな事件の事例を紹介して頂きながら、社会的な障がい者を取り巻く状況についても考えてみたいと思う。

弁護士 田門 浩氏 (都民総合法律事務所所属)
第1回「炎の意志」
いよいよ講演が始まる。過去ろうあの方の講演を聞いたことがない私は、手話通訳の方が入ると聞いてはいたのだが、実際どのような形式で氏の講演が行われるのかと半ば緊張しながら開始を待った。
田門氏が入場、2名の手話通訳の方と入室された。氏がこちらを向き、通訳の方2名は聴衆に背中を向け着席、氏の手話を逐一フォローしながらマイクを手にお話しして頂くスタイルで講演は始まった。耳が聞こえないのにしかも弁護士?正直なところどれだけ強い意志をもって取り組んだ結果なのだろうか。その厳しさをみじんも感じさせないにこやかな顔で氏は手を動かし始めた。
「私は1967年福島に生まれました。母の胎内にいるときに母が風疹を患ったことにより、先天的に生まれたときから私だけが耳が聞こえなかったのです。そんな中、14歳まで5か所のろう学校に通って過ごしましたが、10歳のときに父を亡くしまして、生活が変わりました。
母はパン屋のパートをしながら、私達二人の子供を育てなくてはならなくなったのです。そんな中、行政から社会福祉の支援を受けたこともあったことから社会福祉に興味を持ったのが、最初のきっかけでしょうか。」
講演の最初から氏の厳しい生活環境の話に驚いた。10歳でお父様を亡くされたとのことだが、氏はもちろん、お母様のご苦労、ご心労はいかばかりのものだったろうか。そんな母を見ながら、社会福祉に興味をもった氏に、大きな転機が思った以上に早く訪れた。
「1980年、私が13歳のときでした。ある朝新聞を見た私の目にろうあ者の山田裕明さんという人が司法試験に初めて合格したというニュースが飛び込んできました。
山田さんが新聞の中で司法試験に挑戦した理由を『弁護士になって世の中の役に立ちたい』と話しているのを読み、社会福祉に興味をもっていた私は大きな驚きを受けさっそく山田氏に『どうしたら試験に受かることができるのでしょうか』と手紙を出したのです。するとすぐに返事が返ってきて『やはり非常に難しい試験なので、実績のある大学に入って勉強をしっかりする必要がある』とのことだったのです。その時からですね、『弁護士になりたい』と思ったのは。」
その日から氏の人生の目標が決まったといっても過言ではないだろう。ただどんなに強い意志をもったとしても、13歳の少年がどこまでそれを持続できるものなのだろうか、と正直感じてしまうのだが、それまでもおそらく我々の想像しえないハードルを乗り越えてきたであろう氏の「炎の意志」が、それからの人生を全て決定することになる。
「山田氏の助言通り、優秀な学校に入学しなくてはならない、という教えのもと、高校への進学はろう学校ではなく、普通校を受験することに決めました。通常ろう学校から普通校に行く希望者はあまりいないのですが、あくまでも司法試験を受け、弁護士になるという目的の為、アットホームで居心地のよいろう学校を出て、厳しく自分を鍛えたいという思いが強く、迷わず普通校を選択し、受験を目指しました。
ただその過程はろうあ者の私にとって決して楽なものではなく、いくつかの高校では受け入れを拒否されてしまったのです。それまで普通校のことを知らなかった私はまずそのことにとてもビックリしました。考えてみればそれが人生で経験した初めての壁だったのかもしれません。」
そんな壁を乗り越え、氏は千葉県立薬園王台高等学校に入学する。しかしここからまた大きな壁が立ちはだかる。ほとんどすべての普通校には手話通訳がおらず、氏は授業の内容を目で追う以外に理解する手立てがなかったのである。その為、氏は学校の授業内容を全くの独学で学習、理解し、健常者の他の生徒と比べても全く遜色のない高い成績を収めて、卒業へと進んでいった。
そんな彼が大学を受験に向け最終的な願書出願の際に、願書に「耳が聴こえない」と記入して受験を希望する各校に送付したところ、学校から母親と共に面談の依頼が来たという。
「ある学校では『大学に入っても授業がついていけないから無理ではないでしょうか』とか『受験は許可しますが、それで合格しても支援は一切できない』ということに同意しなければならない、という条件などを提示されたりしました。
私は母と非常に驚き、落胆もしそうになりましたが、そんな中でも私の意志は揺らぐことなく自らの夢を実現する為に、与えられた条件をクリアできることに専念した結果、東京大学法学部に無事入学することができたのです。」
大学入学までの間に辿ってきた彼の軌跡を聞くだけでも、それがどれくらいの困難さを伴うものなのか、そして彼はその悔しさやもどかしさをどのようにコントロールしてきたのだろうか、凡人である私にとっては想像のしようもない。ただ氏はそんな苦労をみじんも感じさせず、穏やかな微笑みを絶えず浮かべている。しかし逆にその表情の中には、優しさと共に「炎の意志」の存在を感じざるを得ないのだ。さて、壁を乗り越えいよいよ晴れて大学に入学した彼は、どのように司法試験合格、弁護士になるという夢を達成してきたのだろうか。2回目も引き続き、氏の軌跡を追っていきたいと思う。
都民総合法律事務所 東京都新宿区四谷1丁目18 TEL 03-3357- 0277
(第2回に続く)
敬称略 取材・執筆 柳澤史樹
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